「にごりえ」のお力の飲みっぷり
下座敷はいまだに客の騒ぎはげしく、お力の中座したるに不興(ぶきょう)して喧(やかま)しかりし折から、店口(みせぐち)にておやお皈(かえ)りかの声を聞くより、客を置きざりに中座するといふ法があるか、皈つたれば此処(ここ)へ来い、顔を見ねば承知せぬぞと威張(いば)りたてるを聞き流しに二階の座敷に結城を連れあげて、今夜も頭痛がするので御酒の相手は出来ませぬ、大勢の中に居れば御酒の香に酔ふて夢中になるも知れませぬから、少し休んで其後は知らず、今は御免なさりませと断りを言うてやるに、夫れで宜(い)いのか、怒りはしないか、やかましくなれば面倒であらうと結城が心づけるを、何(なん)のお店(たな)ものゝ白瓜(しろうり)が何(ど)んな事を仕出しませう、怒るなら怒れでござんすとて小女(こおんな)に言いつけてお銚子の支度、来るをば待ちかねて結城さん今夜は私に少し面白くない事があつて気が変つて居ますほどに其気(そのき)で付合て居て下され、御酒を思ひ切つて呑みまするから止(と)めて下さるな、酔うたらば介抱して下されといふに、君が酔つたを未(いま)だに見た事がない、気が晴れるほど呑むは宜いが、又頭痛がはじまりはせぬか、何が其様(そん)なに逆鱗(げきりん)にふれた事がある、僕らに言つては悪るい事かと問われるに、いま貴君(あなた)には聞て頂きたいのでござんす、酔うと申(もうし)ますから驚いてはいけませぬと嫣然(えんぜん)として、大湯呑(おおゆのみ)を取よせて二三杯は息もつかざりき。(「にごりえ」 樋口一葉)これで一つの文章です。
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